ユグノーの書庫
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第一幕 下駄箱のラブレター 「何してるの?」 佳織が僕に向かって問い掛けた。 「み、見るなよ」 僕が両腕で机の上を隠すと、佳織は余計に気になったようで必死にのぞきこもうとした。僕が隠したもの、それはラブレターだった。 生まれて初めてもらったラブレター。 人から好きだなんて言われるのが、たとえ手紙でも、初めてなものだからこれを一体どう扱っていいものか考えあぐねていた。 「怪しいわね。どりゃっ」 「ぶほぁ!」 佳織が思いっきり椅子を引いたものだから僕は派手にすっ転んでしまった。周りのクラスメートが、あいつら何やってんだ、って顔で笑っていた。 「ふむふむ、これは事件ね」 「ん?」 「あんたがラブレターをもらうなんて、明日は隕石でも降るんじゃないかしら」 「それよりお前の怪力のほうがどうかしてるよ、まったく」 僕は椅子に座り直す。 「うーん、それにしても誰からなのかしら? 名前なんて、どこにも書いてないし」 僕は佳織からラブレターをひったくった。 「それがわからないから、困ってるんだろ。ていうかお前には関係ないだろ」 「関係ないわけないでしょ。あんたとは幼稚園の頃からの仲じゃないのよ」 そう、この木下佳織と僕は幼稚園からこの中学二年までずっと同じクラスなのだ。なんとも奇妙な縁というか。周りからは運命の糸で結ばれているんだとまで噂されているらしい。 確かに、活発な印象を持たせるポニーテールといい、少し釣り上った大きな目といい、見てくれは良い。だが、僕にはそんな気持ちはない――はずだ。 「というわけで、この名探偵木下佳織がこの謎を解き明かして見せましょう!」 「お前、絶対面白がってるだろ」 「おほほほほほ。そんなわけないじゃない?」 そんなわけある。 「はぁ、もういいよ。僕が止めたって無駄なことはとっくの昔に学習済みだからね」 僕は心底うんざりしたような顔で言った。 「さすが、我が幼馴染。もうすぐ一時間目が始まるようだし、続きは放課後に」 「わかりましたよ」 佳織が席に戻ると、僕はラブレターを机の中にしまった。 授業の間も机の中のラブレターが気になって仕方がなかった。 そして、放課後になり、佳織は僕の所にすっ飛んできた。 「さて、差出人を探さないとね」 佳織は人差し指を唇に当てて何か考えているようだ。 「うーん、まずは文面をよく観察しましょう。どれどれ」 ルーペを当てるようなしぐさをしつつ、そのラブレターを読み上げだした。 「突然こんな手紙――」 「お、おいっ、そんな大声で読み上げる奴がいるか!」 「あら、ごめんあそばせ」 さっきから、佳織は遊んでいるとしか思えない。 ラブレターの文面はこうだ。 『突然こんな手紙をもらって驚かれるかもしれません。ですが、自分の気持ちを素直に伝えるためにはこれが一番良い手段だと思い、こうして筆をとりました。面と向かって言う勇気がない私を笑ってください。 いつもあなたを遠くから見ているだけで、私にはそれ以上のことがどうしてもできませんでした。でも、やはり私はあなたが好き。 時折見せる笑顔が好き。弓道に打ち込んでいるときの真剣なまなざしが好き。不意にサッカーボールが飛んできて窓が割れた時、とっさに彼女をかばった優しさが好き。 もう頭の中があなたのことで一杯になり、どうしようもなくなってしまいました。 ですから、それを伝えるために手紙をしたためました。こんな手段でしか伝えられないのですが、私の想いに嘘はありません。ですが、これでもう満足です』 これを読むと、どうしても僕の顔は赤くなってしまう。 恋愛になんぞ縁がないと思っていた僕に届いたこの手紙。青春真っ盛りの僕にとって、これがどんなに意味のあるものか計り知れない。 「こら、そこ! にやけてるんじゃないの!」 「あ、いや、その……」 「はぁ、もういいわ。で、あたしは、これを読んでどうしても引っかかることがあるのよ」 「こんな僕のことを好きになってくれる人がいたことが、とか言うんじゃないだろうね」 「まぁ、そこもそうかもねぇ。見た目もまずまず、頭もまずまず、弓の腕もまずまず」 「あのなぁ」 何とも失礼なやつだ。確かにそうかもしれないけどさ。 「弓道好きなんだっけ?」 「まあ、ね」 「部活さぼるの見たことないしね」 「好きだから、かな」 僕が弓道に出会ったのは中学に入ってからだ。この雑多な世の中で一人の世界を作れる時間は貴重で、すぐに虜になってしまったのだった。 「って、そうじゃなくて。問題はここよ!」 と、佳織はずばり指を差した。 「ああ、あの時は結構ヤバかったよね。まだあの時の傷が背中に」 「あ、あん時は、ごめんね……」 佳織があまりにもすまなそうな顔で謝るので、僕はすぐに言い繕った。 「お前が謝ることじゃないだろう。あんなとこでサッカーしてた馬鹿が悪いんだから」 そう、佳織が悪いわけじゃない。 「いや、でも……ってそうじゃなくて!」 「二回目だな」 「もう、ここよ、ここ! か、の、じょ!」 「うん」 「うんじゃなくて! まあ、英語の授業では、『SHE』を誰のことでも『彼女』って訳すけど、日本語で一般的に『彼女』っていえば『恋人』を差すわよね?」 「まぁ、そうだね」 彼女。その響きは青春男子が恋い焦がれてやまない魔法の言葉なのだった。 「いつ、あたしが、あんたの、彼女に、なったのよ」 言葉を区切り諭すように言われた。 確かに、周知の事実と化していようと、僕らはそんな関係ではなかった。 「そして、ここ」 と言って、佳織は『でも、これでもう満足です』の一文を指差した。 「んーと、どういうことなのかな?」 僕はわけがわからず、首をひねった。 「もう、乙女心がわからないやつね。差出人はあたしのことをあんたの彼女だと思っているわけ。で、好きとだけ伝えて身を引いたってわけね。何ともしおらしいじゃない」 「なるほど」 「これでやるべきことは決まったわね」 「えっと、差出人に木下佳織が彼女じゃないことを伝える」 佳織が彼女だと思われていたら、この手紙の差出人と僕が付き合える可能性もなくなるということだ。 「オーケー、その通りよ。もう、あたしが関係ないなんて言わせない。あたしもあんたの彼女だと思われているなんて不本意よ」 「そこまでむきにならなくても」 「何か言った?」 「い、いえ、なんでもございません」 「さて、とりあえず、これをどこで見つけたの?」 「下駄箱の中」 「何ともアンティークね。でも、それが一番確実といえば確実、と。でも、それじゃあ、誰が差出人かわからないわ」 「そうだね」 「うーん、情報が少なすぎるわ。名探偵木下佳織をここまで悩ませるなんて」 「探偵になる夢、叶うといいよね」 と、僕が言った言葉に対し、佳織はなぜか怒っていた。 「ちょっと、あんた、急に殊勝なこと言うんじゃないの。こっちが恥ずかしくなるでしょ」 「えっと、うん」 佳織はこほんと咳払いしてから、話を戻した。 「文面を見る限り、差出人はあんたをものすごく注視してるわね」 「てへ」 「かわいくないから。で、そこまで見つめられてるんだから、何か目線を感じたりしないわけ?」 「えっと、いや、まったく……」 「はぁ、もう。恋する乙女の熱視線をかわし続けるなんて、どんだけ鈍感なんだか」 両手を上に広げて呆れている。 「て、言われても、わからないものはわからないんだからしょうがないだろ」 僕はちょっとムッとなって言った。 こんな僕が誰かに見られてるなんて、ありえないと思っていたわけだし。 「まぁ、いいわ。手詰まりもいいとこじゃないのよ。文面見たって差出人の性格をつかむぐらいしかできないし」 「性格?」 「人の書く文章っていうのは、その人となりがにじみ出てくるもんなの。しかもこんなに感情のこもった文章なんだもの、かなり濃くにじみ出てるわ」 「ふむふむ」 僕はうなずいて見せた。 「とんでもなく奥手で、クラスでも目立つほうではない。下手をすると臆病とまで言わざるを得ない。手紙を出すだけでもよっぽど勇気を出したに違いないわ」 確かに、好きだと伝えるのは例え手紙であっても勇気が要るものだ。 「そして、丁寧な言葉遣い、それもこの手紙を書くためだけに使ったものじゃないわ。どこかのお嬢様だったりしてね」 「お前とは大違いだなぁ」 「あぁ? また何か言った?」 「いえ、別に何も」 でも、そういえば佳織の父親も確かどこかの大企業の社長なはずだ。どうして、こうまで言葉遣いが違うのか。そこに気をつければ佳織なら彼氏の一人もできそうなものなのに。 「て、ちょっと待って。もっと早くに気付くべきだったわ。単純すぎて放置してた」 「ん?」 「敬語よ、敬語。あたしたちは今、中学何年生?」 「二年生」 「そう。つまり差出人は一年生ね。これで候補が三分の一に絞られたわ」 「て、言っても、全校生徒は六百人くらいだから、まだ二百人はいるね」 「百人でしょ。なんで男子を数に入れてるのよ。そういう趣味でもあるの?」 「あ、そっか」 「うん、でも、確かにその可能性も否定はできないわね。まぁ、二百人にしとこっか?」 「いや、百人でいいです」 ちょっとぞっとしない。昨今のブームだとしても僕にはその気はないのだから。 「全員に聞いて回るのも骨が折れるだろうし、何より差出人が嫌がるわね」 「僕からも丁重にお断りします」 こんなことを吹聴されるのは、僕も望むところではない。 「はぁ、もうどうすればいいのよ」 「もう、今日はこの辺にしよう? 部活行かないと」 僕は時計を見ながら言った。そろそろ部活に行かないと先輩や顧問の先生にどやされるところだ。 「まあ、この手紙からこれ以上得られるものもなさそうだし、帰ってゆっくり考えとくわ」 僕は、佳織とわかれると、部室で体操服に着替え、弓道場に急いだ。といっても、ただの校舎裏だ。 弓道部はここ二、三年でできた新しい部で、立派な弓道場なんてものはあるはずがなかった。 僕は的に向かって立ち、両足の位置を定め、そこに体を安定させる。 矢を持ち、弓に当て、両腕を上げる。 腕を下ろすと共に、弓を押し、弦を引く。 そして矢を放つ。 だが、矢が的に中ることは無かった。 弓は如実に僕の心を映し出す。 どうしても、僕の心からあのラブレターのことが離れることはなかった。 |