ユグノーの書庫
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「おっはよう!」 学校の玄関で僕が靴を履き替えていると、佳織が後ろから脳天チョップをかましてきた。 「殺す気か!」 「おうおう、元気だねぇ」 「元気なのはどっちだ」 佳織はいつでも元気で、僕はそれをわけてもらっていたんだ。 「まぁまぁ、そんなことより。これね、ラブレターが入ってたっていう」 佳織は僕の下駄箱を指差した。 この学校はほかの学校に比べ比較的新しく、校舎の中は土足厳禁なのだ。 「そうだけど」 「下駄箱っていうのは古来より愛とロマンとその他もろもろが詰まった宝箱として有名よね」 「もろもろってなんだ」 僕らは上靴を履き終ると教室に向かって歩き出した。 「下駄箱のラブレター。その起源はなんとあの卑弥呼。恋した神への捧げものとして文をしたため、それを神に届けるためにわらじの入った箱に入れて、燃やした。わらじは導きの象徴だったの。神へ届けてくれると信じてたのね」 「えっと、突っ込みかたがわからないんだけど」 佳織のこういう話は真偽が定かではない。 階段を上がる。僕らの教室は二階にあった。 「卑弥呼から始まったある種儀式とも言える下駄箱のラブレター。今日まで続いてるなんて奇跡ね」 「そ、そうだね」 否定しても無意味なのはわかっているので、適当に受け流しておくことにした。 教室に入り、僕の席に着くなり、佳織は切りだした。 「さてと本題に入りましょ。このラブレターの差出人は誰か」 「うん」 「わからないわ」 「えっ」 僕はあっけにとられた。 「情報は手紙だけなのにわかるはずがないじゃない。でも、探し出す手段は考えておいたわ」 僕の脳裏に不安がよぎった。 「罠よ。簡単じゃない、差出人のターゲットはわかってるんだから」 「僕」 「そう、あんたをおとりにして、差出人を捕える」 「えっと、聞くのがためらわれるんだけど、僕はどうすればいいのかな?」 「ふっふっふ、それは後のお楽しみよ」 と言って、佳織は自分の席に戻っていった。 一時間目のチャイムが鳴り、授業が始まった。 授業中も、僕は不安を隠しきれないのだった。 そして、放課後、佳織は不敵な笑みを浮かべて僕のところにやってきた。 「さて、待ちに待った放課後よ」 「で、いったい何をさせられるのかな?」 「これを首から下げて頂戴」 佳織から手渡されたのは、ダンボールで作った簡素なプレートだった。そこに書かれた文字は『僕を拾ってください』。 「何の冗談?」 「冗談も何も、そのままの意味よ。あんたはそれを首からぶらさげてこのダンボール箱の中でうずくまるの」 僕はあきれてものが言えなかった。 「何押し黙っちゃってるのよ。これほど効果的な手はないわ。母性本能をくすぐられた差出人はたまらなくなって声をかけてくるに違いない。どんだけ奥手でもこれにかかれば、い、ち、こ、ろ、よ」 佳織はこれが最高の手段だと言わんばかりに力説した。 「僕に拒否権はないんですよね?」 「当然よ」 僕は不本意ながら、そのプレートを首から下げた。僕がごねたところで佳織があきらめるはずはないのだ。 「で、どこに居ればいいの?」 「差出人はあなたの行動パターンを完全に把握してるに違いないわ。つまり普段通りあなたがいる場所。弓道場が最適ね」 「あの、ほかの部員もいるんだけど?」 「そこはあたしが言いくるめるから、安心して」 安心できるわけがないじゃないか。 「さっ、さっそく行動よ!」 僕は連れられるままに弓道場にやって来た。 「いいこと? 秘儀チワワの瞳を使いなさい」 佳織は僕に目薬を手渡してきた。 「これは?」 「涙なんてあんたが演技で流せるわけないでしょ。これを使いなさい」 どうやら目薬を差して涙を浮かべろということらしい。何とも手の込んだことだ。 「よし、あたしはそこの木の陰で覗いてるから何かあったら助けを呼ぶのよ」 「は、はい」 僕はダンボールの中に入りうずくまった。 ほかの部員が僕を見ないように見ないようにしているのがわかって、それが痛かった。 僕は言われたように目薬を差した。秘儀チワワの瞳の発動だった。 しかし、それから何事もなく数十分経ったところで、弓道部顧問の先生がやってきた。 「お前こんなとこで何やってるんだ?」 「い、いえ、あの、その……」 「泣いてるのかお前。もしかして、いじめられてるのか?」 「いえ、違うんです」 僕は助けを求めて佳織の居る木のほうへ目線を向けた。 佳織は、もう仕方ないわね、といった風な顔でこちらにやってきた。 「先生」 佳織は先生に声をかけた。 「ん、なんだ?」 「ただの、文化祭の練習ですよ」 「そうなのか? ならいいんだが」 先生は腑に落ちないといった顔で去っていった。 佳織は僕のほうを向いて、 「大丈夫?」 と、訊いてきたが、少しも心配していないのがあからさまな笑みだった。 「う、うん」 大丈夫なんかじゃなかったけど、一応うなずいておくことにする。 「うーん。差出人来ないわね」 「うん」 「しょうがない。今日はここまでね。弓道がんばんなさいよ」 そう言って、佳織はひらひらと手を振りながら帰っていった。 僕は体操服に着替えると、弓道にいそしむことにした。 今日も今日とて矢が的を射ることはなく、本当に大丈夫か、と先生にいぶかしがれるほどだった。 見上げると、いつのまにか太陽は雲の陰に隠れ、僕の不安をあおっていた。 ラブレターの差出人。本当に見つけることができるのだろうか。 |