ユグノーの書庫
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第二章 Rhythm
& Blues 昼過ぎ、悟は眠りから目を覚ますと、そのままテレビをつけた。 テレビは暇つぶしにはもってこいなので、何をするでもなく一日中つけっぱなしにしている。 「お昼のニュースです。昨晩深夜、東京新宿で傷害事件が発生しました。被害者は二十代女性。帰宅中、何者かによって両目を失明させられたとのことです。詳しい情報は未だ入ってきておりませんが――」 悟は目と耳を疑った。まさか、昨日見たスレッドが現実のものになろうとは夢にも思わなかったからだ。 悟はすぐさまノートパソコンを開けると例のスレッドを開いた。 34:名無しさん『まじかよ』 35:名無しさん『くそわろたw』 36:名無しさん『笑えねぇよ』 37:名無しさん『ここの管理人が警察に通報したら身元は割れるだろうし、捕まるのも時間の問題だな』 38:レインボーブルーム『第二回怪盗予告 日時:十月九日午後十時 場所:浜松 標的:右手』 39:名無しさん『キタw』 40:名無しさん『これ、まじでやばくないか?』 41:名無しさん『誰か警察に通報したか?』 42:名無しさん『誰かしただろ?』 43:名無しさん『うけるwww』 44:名無しさん『九日って俺の誕生日だぜw』 二つ目の怪盗予告。 一つ目の予告が本物だとわかった今、この二つ目の予告も本物だと見るべきだろう。 悟は、リアルを捨てた自分には関係ない、と切り伏せたかった。だが、どうしてもレインボーブルームという名前が引っ掛かって仕方がなかった。 「くそっ!」 悟は悪態をつくと、すぐさまネットゲームを起動した。 何も悟は遊ぶつもりで起ち上げたのではない。悟には思い当たることがあったのだ。 ログインすると、ギルドウィンドウを開いた。だが、誰もいなかった。 当然だ。今のこの時間、皆学校か仕事で家に居る筈がない。 「焦るな。時間はある」 そう自分に言い聞かせると、夜まで待つことにした。夜になると皆家に帰ってくるだろう。 夜、目当ての人物であるUMAがログインしてきた。 UMA「こんばんは」 ユグノー「こんばんは」 平八「こんこん」 ココウェットはまだログインしていない。 ユグノー「そういや、二人、ココから掲示板のこと訊いてる?」 先に二人に訊いておくことにした。 UMA「いや、知らないですが」 平八「何のことだ?」 ココウェットは二人には伝えていないらしかった。 ユグノー「昨日の新宿の事件、ある掲示板のスレッドで予告されてたんだよ」 UMA「何だって?」 平八「おい、アドレス教えろよw」 ユグノー「まあ、俺もココから聞いたんだけど」 ユグノーはアドレスを二人に教えた。 平八「すごいな、これw」 UMA「まさか、こんなものがあったなんて」 と、そこにココウェットがログインしてきた。 挨拶もそこそこに、 平八「なあ、一緒にどっか狩りいかね?」 と、さっきの話題にもさっそく飽きたのかみんなを誘った。 ココウェット「いいよ〜」 ユグノー「ごめん、ちょっとUMAさんに話があるから」 と、ユグノーは今夜の目的を果たすために断った。 UMA「ん、いいですけど」 平八「じゃ、ココ、パーティー組もうぜ」 ココウェット「うん」 と、二人は狩りに出かけたようだ。 以降はウィスパーチャットでUMAに話しかける。これで他の二人に見られることはない。いらぬ心配を掛けたくはなかった。 UMAはこのギルドで唯一の年上で社会人らしいので、ユグノーにとって頼れる人物だった。 ユグノー「UMAさん、確か、静岡住みでしたよね?」 UMA「あの、それが何か?」 UMAもウィスパーチャットで返してきてくれた。 ユグノー「んーと……」 少し考える。どう言ったらいいものか。 UMA「では、一緒に狩りしながらでもどうですか?」 ユグノー「あ、はい、お願いします」 UMAはユグノーが言い辛そうにしていることを察知して、気を利かせてくれたのだろう。 UMA「では、パーティー投げますね」 ユグノー「はい」 二人はパーティーを組むと、以降はパーティーチャットで会話をする。 UMA「ユグノーさん、狩り場ですね。すぐに私も行きます」 ユグノー「了解です」 UMAがユグノーの狩り場に到着した。 UMA「さて、適当に狩りますかね」 バーサーカーであるUMAにタゲ取りを任せて、ユグノーは後方から魔法で敵を攻撃する。 ユグノーは先ほどの話を切り出した。 ユグノー「新宿での事件どう思います?」 悟は当たり障りのないところから話を切り出した。 UMA「ああ、目をつぶされたっていう」 ユグノー「はい」 UMA「何ともえぐいですよね」 ユグノー「ええ」 UMA「私もいきなり失明したらと思うと……」 ユグノー「ゲームができなくなる、なんていう程度じゃ済まないですよね」 UMA「脳内に取り入れられる情報の八割以上が視覚からのものだそうですし」 ユグノー「それほどなんですか」 UMA「ええ、生まれつきなら聴覚や触覚が補完していくのでしょうけど、いきなりだと、生きていくのもやっとでしょうね」 ユグノー「そうですよね」 いたたまれない気持ちがユグノーを包んだ。 ユグノーはそろそろ本題に入ることにした。 ユグノー「それでですね。先ほど教えたスレッドに新たな予告が書かれていましたよね」 UMA「ですね」 ユグノー「九日の午後十時、浜松で右手を奪う、と」 UMA「私の今居るところ、です」 ユグノー「それでUMAさんに、と」 UMA「私に注意しろとでも? 心配には及びませんよ。これでも柔道の黒帯持っているんです」 ユグノー「いえ、それもあるんですけど……」 UMA「ん、他にも何か?」 数秒の間。 UMA「まさか、犯人を捕まえたいって言うんじゃ」 ユグノー「……はい」 UMA「いいですよ。掲示板に書かれているのなら警察も来るでしょうし、大丈夫でしょう」 ユグノー「警察はたぶん、来ません」 UMA「どうして?」 ユグノー「調べてみたんですが、そこの掲示板、管理人いないみたいなんですよね」 UMA「はあ。そういうのありますよね。放棄された掲示板」 ユグノー「まあ、スレを見た誰かが警察に通報していれば、来るでしょうけど、そんな暇人いないと思います」 UMA「ははは、そういうものですよね」 ユグノー「ええ」 UMA「では、なぜユグノーさんが通報しないのですか?」 ユグノー「それは……」 UMA「犯人を捕まえたい理由。そこに関わってくるからですね」 ユグノー「はい」 かつての親友を裏切りたくはなかった。 UMA「では、こういうのはどうでしょう? 私が犯人を探す報酬として、それを聞かせていただけませんか?」 少しの逡巡の後、ユグノーは口を開いた。 ユグノー「わかりました」 ユグノーは笠木刃について話した。名前をもじってレインボーブルームとなることも。虹色の髪をしていたということも。 UMA「それが、この事件とどう関わっていると?」 ユグノー「この予告を出している人物の名前はレインボーブルーム」 UMA「なるほど」 ユグノー「ただの偶然で、俺の杞憂ならばそれでいいんですが」 UMA「もし、そのお友達が犯人だったとしたら、というわけですね」 UMAは少し考えているのか、チャットが止まった。 狩りの手も止まり、二人とも全く動かない。 UMA「いいでしょう。その日、散歩でもしてみますかね」 ユグノー「ありがとうございます。今でもレインボーブルームを名乗っているのなら、まだ虹色の髪をしているかもしれません」 UMA「わかりました。ただ期待はしないでください。浜松と言っても広いですから」 ユグノーは、一安心して気が抜けてしまったのか、アクティブの敵に小突かれて死んでしまった。 ユグノー「あっちゃ、やってしまった」 UMA「ははは、何やってるんですか?」 ユグノー「いやー、てへ。すぐ戻りますね」 UMA「了解です」 二人は、その後、他の二人と合流し、深夜まで狩りを続けた。 UMAこと斉藤優馬はユグノーから頼まれたように、虹色の髪の男を探していた。 時刻は午後八時。予告された時刻まで後二時間ほどだった。 残業をこなしてから会社を出たのが午後七時だったので、丸一時間は探していたことになる。 夜空には満月が灯り、街灯の無い路地でも結構な明るさを放っていた。 「あてもなく探すというのは無理があるな。虹色の髪をしているというのも確証はないし」 優馬は一人でぶつぶつと愚痴る。 「まあ、別に家に帰ってもネトゲしかすることないしなー」 ふと、奇麗な女性が歩いているのが目に入った。 優馬はふらふらと、その女性の後を何の気なしに付いて行く。 優馬には彼女もいなかったので、奇麗な女性を見ると、後を付ける癖がついていた。いつ女性が振り向いてもいいように、ネクタイを正した。 少し歩いた先で女性が地下に入っていったので、つられて優馬もそこに入る。 そこはバーだった。落ち着いた雰囲気で、店内は薄暗く、流れているR&Bが耳に心地よかった。 半地下になっているせいか客もまばらで、隠れた名店といった風情である。 その女性はカウンターの席に座ると、何かカクテルを注文したようだった。 優馬も女性から少し離れたカウンターの席に座る。カウンターには他に客は居ないようだ。 初めてバーに入ったものだから何をどうしていいかわからず、手をこまねいていた。 バーテンダーはそれを見かねたのか、 「ご注文は?」 と、訊いてきた。 「えっと、とりあえず、ビール?」 「かしこまりました」 とりあえず浮かんだビールを注文したが、良かったのだろうか。 女性の方を見やる。 その女性は注文したカクテルを一口、口に含んだ。 何ともそれが絵になっていたので、優馬は酒を飲む前からすでに顔が赤くなってしまった。 店内が暗くなっているおかげで助かった。赤くなった顔を誰にも悟られずに済んだ。と、ほっとした。 のどが渇いていたので、出てきたビールをとりあえず一気飲みする。 「ぷはぁー」 すると、その女性がこちらを向いて微笑んでいたので、優馬はニヤニヤしつつ頭を掻いた。 初めてのバーでの緊張も解けてきたのか、優馬はバーテンダーにもう一杯ビールを頼んでから、かっこつけて言葉を足した。 「あちらの女性にマティーニを」 「強さはどういたしましょう」 優馬は唯一知っているカクテルの名前を言っただけで、それ以上のことはわからなかったので口ごもってしまった。 「では、あちらの女性の好みに合わせて作らせていただきます」 と言って、バーテンダーはこちらにウィンクをした。 助かったという気持ちで、優馬はまた、頭を掻いた。 これであの女性がここの常連であろうこともうかがい知ることができた。 バーテンダーが女性に優馬が注文したマティーニを差し出した。 「あちらの男性からです」 バーテンダーがこちらを手のひらで差していたので軽く女性に向かって微笑む。 女性は立ち上がると、そのマティーニを持って優馬の席の隣に移動してきた。 「ありがとう」 その微笑みは優馬の心をわしづかみにした。 少し茶色に染まったショートヘアがカウンターの照明を受け、落ち着いた輝きを放ち、薄化粧であるにも関わらず、その顔のパーツはどれも主張を怠らない。白の落ち着いたスーツがとても良く似合っていた。 この薄暗い照明のせいか、酒の回った優馬の目にはとても妖艶に映った。 「い、いえ」 「こんなことされるの初めてだからびっくりしたの。男の人の中にはキザだって嫌う人もいるけど、私はそうは思わないわ」 「良かった」 「女は雰囲気を愉しむ生き物なのよ」 女性はマティーニに口をつける。 「雰囲気?」 「そう。やっぱりこういうシチュエーションはあこがれるものなのよ」 「なるほど」 「そういえば、あなた、何歳?」 「えっと、二十歳です」 優馬は頭を掻いた。それが癖であるようだ。 「やっぱり。結構若く見えたから」 「えっと、あなたは?」 「女性に年齢を訊くものじゃないわ」 その女性はツンとした表情を見せた。ただ、それは優馬にも冗談だとわかるものであった。 「でも、マティーニのお礼に教えちゃおうかな。もう二十八になるわ」 「そうは見えません」 「あら、嘘でもうれしいけど」 「嘘なんかじゃ」 「もう、私を口説き落とそうとでも言うのかしら。素直に受け取っておくことにするわ」 女性は軽く微笑み、足を組み替えた。 「俺こういう店初めてで、どうしたらいいのか」 「良い店よね。BGMのセンスも良いし。だから、この雰囲気にただ身を任せればいいのよ」 「洋楽とか詳しいんですか?」 「この曲が入っているアルバムは家でもよく聴くのよ。甘いエモーショナルな声が私の感性を刺激するの。そして声を張り上げた時、むせび泣くような声になって、そこがまた良いのよね」 と、女性は力説した。 「は、はぁ」 「あ、ごめん。私の世界に入ってしまっていたわ」 女性はマティーニを手に取り口に入れた。 それを目にした優馬は、 「マティーニっておいしいんですか?」 と、思わず訊いていた。 「あら、知らないのに頼んだの?」 「え、ええ、まあ」 優馬は頭を掻いた。 「て、二十歳ならそれもそうか。飲んでみる?」 「え?」 「ほーら」 女性がマティーニを差し出してきた。 優馬はそれを受け取り、カクテルグラスを見つめた。そのカクテルグラスには赤い口紅が付いており、優馬の心をどぎまぎさせた。 女性が優馬の方を楽しそうに見つめてくるので、その口紅の部分を外して一口飲んだ。 だが、優馬にはどうしてもおいしいとは思えなかった。 優馬があまりにも渋い顔をしていたので、 「あら、口に合わなかったかしら」 と、女性に言われた。 優馬は酒が口に合わないのを馬鹿にされているような気がしたので、少しムッとした表情になってしまった。 「いいのよ。このマティーニは私の口に合うようにできてるんだから」 「えっ?」 優馬は不思議そうな顔をした。 「マティーニって言っても、一つだけじゃないのよ。様々な種類があるの」 「そうなんですか?」 「それに店によっても、バーテンダーによっても、さらに、客に合わせて作り変えたりもするし」 「へー」 「だから、これが口に合わなくても、あなたに合うものがきっと見つかるはずよ」 優馬は自分の誤解を解こうとしてくれているこの女性のことを、いつの間にか好きになっている自分を自覚した。 「なるほど」 優馬は口が気持ち悪かったので、ビールを飲み干した。 「おいしそうに飲むわね」 「えへへ」 「はあ、私もビール飲もうかな」 「ビールとかも飲むんですか?」 「まあ、雰囲気を愉しむって言ったじゃない? だから、私はここではカクテルしか頼まないんだけど。あなたのを見てたら、ね?」 女性はバーテンダーを呼ぶと、ビールを二杯頼んだ。 バーテンダーは女性がカクテル以外を注文していることにびっくりしたようだった。 「こういうのもありかなって」 その後も二人は、優馬の会社での愚痴など、他愛無い話に華を咲かせた。 それからしばらくして、女性はちらっと腕時計を見てから名残惜しそうに言った。 「さて、そろそろ帰らないと」 優馬が腕時計を見ると、時刻は九時五十分を回ったところだった。 「じゃあ、送りますよ」 「ありがと。でも大丈夫よ。いつものことだから。今日は楽しかったわ」 そう口にすると、女性は席を立ち、二人分の会計を済ませ帰ってしまった。 女性が出て行ってから、優馬の脳裏にあの予告のことがよぎった。万が一のこともあるだろうと、急いでバーを出る。 だか、周りを見渡しても、女性の姿はどこにもなかった。 どこかの路地にでも入ってしまったのだろうか。優馬はバーの左手から路地に入り、その女性を探して走り回った。路地から路地へ。また違う路地へと走る。 「嫌!」 優馬の耳に女性の悲鳴が聞こえた。急いでそちらの方へ向かう。 優馬の心臓はうるさいほど早鐘を打っていた。 いた。 遠く向こうにその女性の姿を捉えた。 だが、月明かりは女性だけを照らしていたのではなかった。そこに居たもう一人の男は虹色の髪をしていた。 優馬は全速力で駆けだした。 だが一足遅く、おびただしい量の血が女性のスーツを赤く染め上げていた。 その女性の右手首から先がなくなっていたのだ。 走り去った男の手に斧が握られているのが見えた。 だが、優馬はその男を追いかけるよりも女性の方が気になった。 優馬はその女性を抱き起こした。 「お、おい! おい!」 女性は焦点の定まっていない目で優馬を見ると、痛みに気を失い、ぐったりと体を預けた。 優馬は、助けを呼ばなければ、と思ったが、どうすれば良いのか分からず、叫ぶことしかできなかった。 「誰か! 誰か! お願いだ! 誰か! なあ頼むよ……。誰か!」 それを聞きつけて、スーツ姿のサラリーマンがこちらに駆け寄って来てくれた。 「な……。これはまずいぞ。救急車だ。救急車を呼ばないと!」 救急車。優馬はそれにすら考えが及ばなかった。 そのサラリーマンは携帯電話を取り出すと、すぐに救急車を呼んだようだった。 「君、落ち着いて!」 そのサラリーマンはスーツを脱ぐと手首にそれをあてがい、血を止めようとしていた。 手首から先はどこにも見当たらなかった。先ほどの男が持ち去ったのだろうか。 優馬はその様子をただ見守ることしかできない不甲斐ない自分自身を呪った。 女性の名前すら訊いていないことに気付いたのは、それからだいぶ経ってからだった。 |