ユグノーの書庫

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RB 
 

第三章  Rainy Beat

 

 夕方、ユグノーがネットゲームにログインすると、ゲーム内のメールが届いていることに気が付いた。UMAからのものだった。

UMA『犯人は虹色の髪の男だった』

 メールはそれだけで終わっていた。

 このメールを出した時刻は十日午前一時過ぎ。ユグノーはその時ログインしていなかった。

 ユグノーはギルドチャットでUMAについて訊いてみることにした。

ユグノー「ちょっと、訊きたいんだけど」

ココウェット「ん? 何〜?」

平八「どした?w」

ユグノー「UMAさんのこと誰か知らない?」

ココウェット「知らな〜い」

平八「あー、昨日一時くらいに来たぜ」

ユグノー「何か言ってた?」

平八「いや、あの人来て早々落ちたしw」

ユグノー「そうか」

 UMAは昨日一時にこのメールだけを残して、落ちた。

 UMAは冗談であれ嘘をついたことがない。ユグノーが思うに嘘がつけない性格なのだろう。

 だから、何かがUMAに起こったことは明白だった。しかし、UMAへの連絡手段はこのネットゲーム内にしか無かった。

ユグノーは昼のニュースのことを思い出していた。

「昨晩深夜、静岡県浜松市で、女性の右手が切断されるという事件が発生しました。被害者女性は出血多量により一時意識不明の重体でしたが、現場に居合わせた男性らの応急処置が速やかだったため、今では快復の兆しを見せ始めているということです。警察では新宿での事件との関わりもあるとみて捜査を続けているとのことです――」

各放送局のニュースを見る限り犯人が虹色の髪をしていることは全く知られていない。

虹色の髪ことを教えたUMAなら、この事件に関わってしまったことも大いにあり得る話だった。

ココウェット「そうそう、今、世間を騒がせてる連続通り魔事件知ってる?」

平八「あれだろ? 体の一部を取られるっていうw」

ココウェット「怖いよね〜」

平八「変態だよw」

ココウェット「まあ、すぐ捕まると思うけどさ」

 こんなに大騒ぎになって、警察も馬鹿じゃない。そう、捕まるのは時間の問題だ。だが――とユグノーは思う。

ユグノー「なんでこんなことするんだろう」

 犯人は元親友かもしれない。

ココウェット「え、理由?」

平八「変態の考えなんかわかるわけないじゃんw」

ココウェット「理由か。そんなこと考えたこと無かったな」

平八「犯人の気持ちなんて、考えたくもないぜw」

ココウェット「というより、考えるのを頭が勝手に拒否するものなんだよ」

ユグノー「確かにね」

ココウェット「あっ、ユグが変だって意味じゃないよ」

ユグノー「ああ、大丈夫」

ココウェット「う〜ん、やっぱ性的な理由なのかな〜?」

平八「ヤっちゃいないんだから、単に目立ちたいだけなんじゃね?w」

ココウェット「通り魔的だから、そんなとこかもね」

 本当にそうなんだろうか。ただそれだけなんだろうか。なんとなくだがユグノーにはそうは思えなかった。

 あの笠木刃が犯人なのだとしたら、何らかの意図があるような気がした。

ユグノー「手首を切断するには斧か出刃包丁くらいのものを用意する必要性がある」

平八「そんなに固いのかw」

ココウェット「アニメや漫画では首でさえ簡単に切り落としてるけど、現実はそうじゃない」

ユグノー「そして、テレビで見る限り被害者には女性だという以外に共通点は見られない」

平八「女好きってことかw」

ココウェット「ただ女の人の方が力がないからってだけな気がする」

ユグノー「ただの自己顕示欲の増長ならばまだしも、何らかの意図があるのだとしたら」

ここで、ココウェットがウィスパーチャットで話し掛けてきた。

ココウェット「ユグって本当に高校生?」

ユグノー「どうしたの?」

ココウェット「時々、そうとは思えない時があるから」

ユグノー「本当に高校生だよ」

ココウェット「なら、いいんだけどさ〜」

ユグノー「それがどうかした?」

ココウェット「いや、なんでもないよ」

 ユグノーは何か腑に落ちないものを感じつつも、二人はギルドチャットに戻った。

ユグノー「次は名古屋だな」

 昼間、ニュースを見た後、すかさずスレッドを開くと、やはり次の予告がなされていた。

 ユグノーはネットゲームの裏でそのスレッドを開いて、もう一度見直した。

112:名無しさん『またか』

113:名無しさん『警察何してんだよw』

114:名無しさん『怖いよ〜w』

115:名無しさん『次の予告そろそろ来るんじゃねw』

116:レインボーブルーム『第三回怪盗予告

日時:十月十二日午後十時

場所:名古屋

標的:左足』

117:名無しさん『やっぱきたねw』

118:名無しさん『名古屋だみゃー』

119:名無しさん『俺の近くじゃんw』

 そして、ネットゲームに戻る。

ココウェット「そうなの?」

 ココウェットはスレッドを見ていないのかと、悟は不思議に思ったが特に何も言わなかった。

平八「キタぜキタぜ俺の街w」

ココウェット「あれ、平八って名古屋だっけ〜?」

平八「すいません、愛知の郊外でしたハイ」

ユグノー「お前が名古屋じゃなくて良かった」

平八「どういう意味だよw」

ココウェット「あんたじゃ、狙われかねないでしょ〜が」

平八「大丈夫大丈夫俺がやっつけてやんよw」

ユグノー「はあ、不安すぎる」

平八「そうだ。良いこと考えたw」

ココウェット「悪いこと、の間違いじゃないの?」

平八「イーフォンをインストしてくれりゃあ、通話できるよな」

 イーフォンとはインターネットを通じて通話ができるというアプリケーションで最近流行りだしていることを知っている。

平八「それでみんなと通話しながら犯人を探すってのでどうだ?w」

ユグノー「やっぱり犯人を探すのか」

 とても不安だったが犯人を見つけたい思いもあった。

平八「親父の通信カードを借りてこのノーパにぶっ差せば外でもネットできるからよw」

ユグノー「しょうがないな」

平八「それじゃあ、十二日までにマイクかヘッドセットを買って、イーフォンのインスト頼むわw」

ココウェット「何か恥ずかしいな〜」

平八「チャットが声に代わるだけだろ? 気にすんなよw」

ユグノー「まあ、後は十二日に、だな」

 ユグノーの頭には犯人を見つけられるかもしれないという不安と期待が渦巻いていた。

 

 十二日当日の夜。三人はIDを教え合って、イーフォンを掛けた。

「もしもーし」

「ども」

「その声どっちだ? ユグだろ?」

「ああ、ユグノー。その声平八?」

「そうだが、どうしてわかった?」

「訊きながらカメラに向かってピースするとは頭大丈夫か?」

 悟のパソコンの画面にはニヤニヤした顔とピースが映っていた。

悟が想像していた通りの粗野な面構えだった。茶色く染められた髪はワックスでツンツンに逆立てられ、耳には悪趣味などくろのピアスが光っていた。

 どうやら、向こうにはウェブカメラも取り付けられているようだ。用意が良いことだと、悟はあきれた。

「オーライ、聞こえなかったことにしよう。ココは?」

 返答がない。

「あれ? バグってんのか?」、

「いるよ」

 消え入りそうな声が耳に入った。

「え?」

 と、驚いているようだったが、

「いるね」

 と、悟はいたって冷静だった。

「ちょっ待てよ。女かよ?」

「そう、だよ」

「男だと思ってた」

「デリカシーの欠片もないな」

 と、悟は返す。

「もう、結構恥ずかしいんだからね」

「わりぃわりぃ」

「まあ、女の子なんじゃないかなとは思ってたんだけど」

「さすが、ユグね」

「何だよ何だよ、ココとユグだけいい感じじゃないか」

「まあ、何にしろ、これで俺らは繋がったわけだ」

「UMAさんもいれば良かったんだけど」

 幾分寂しげな声だった。

 UMAはあの日以来、テトラオンラインにログインしてくることは無かった。

「UMAさんならきっと大丈夫だと思う」

 悟はUMAを信頼していたので、それ以上言うのを避けた。

「とりあえず、キャラ名だと気持ち悪いから本名言い合おうぜ」

「このままでもいいと思うけど?」

 悟にとって『悟』も『ユグノー』もさほど意味が変わらなかった。

「私はまあ、名前だけなら構わないけどね」

「平八は平八、俺は俺だ」

 と、親指で自分を指しながらのたまった。

 理論で説いても無理そうだと判断したので、悟は折れた。

「わかったよ」

「よーし、俺の名前は平等院(びょうどういん)八夜(はちや)。平等院鳳凰堂の平等院に八つの夜」

「結局フルネームかよ」

 一応、悟は突っ込んでおいた。

「それで『平八』? 何か短絡的ね」

「何だよ。悪かったな」

「俺は悟だ」

「私は、えーっと、(しん)

「おーけい、悟に心、まあ、よろしくな」

「改めてよろしく頼む」

「よろしくね」

「とりあえず、これから名古屋に向かうから」

「気をつけてね」

 ウェブカメラの映像を見る限り、八夜は家を出て、電車に乗ったようだ。

 窓の外は真っ暗で、月明かりすら見えず、ただ八夜の姿が電車の窓に反射しているだけだった。

 一時間ほど電車に揺られると、窓の外はネオンで明るくなってきた。

「ふぅ、着いた着いた」

 八夜は電車からホームに降り、改札を抜けた。

 現在時刻、午後八時少し前。あと二時間はあった。

「警察の姿は無いか?」

 ユグノーは尋ねた。

「いや、全く」

 やはり、誰もあのスレッドの事を通報していないらしい。

「へぇ〜、これが名古屋か〜。なんか旅してるみたいだよね〜」

 心は幾分楽しそうだった。

「名古屋の画像や動画なんかググれば出てくるだろ?」

「そうは言っても、やっぱリアルタイムは違うじゃん?」

 そういうものか、と悟は一応の納得をした。

「さてさて、どこに行けばいいんだ?」

「不審人物を探して」

 悟は短く命令した。

「不審人物ってったってわかるかよ」

「確かに、そうよね〜。どの人も怪しく見えてくるわ」

「犯人だという目印がある」

「なんだ、それは?」

 八夜が尋ねた。

「犯人は、虹色の髪をしている」

 UMAのメールにもそうあったから確かだろう。

「虹色とか今時流行らねぇだろ?」

「いいから、虹色の髪を探せば良いんだ」

「なんで、そんなこと知ってんだよ。テレビでもそんなこと言ってなかったぜ」

 悟は言いよどんだ。

 中学生の頃のこととはいえ、犯人が元親友だとは言えなかった。

「ラジオでやってた」

「ラジオ〜? 俺、ラジオなんか聴かねぇからなぁ」

「わかったら、虹色の髪を探すんだよ」

「はいはい、っても名古屋ってめちゃくちゃ広いぜ?」

「手当たり次第訊きまわるしかないだろう」

「まじかよ」

 八夜は名古屋駅を出ると、適当に歩き出した。

「じゃあ、そこの交番にでも行ってみるか」

「やめとけ、補導されるぞ」

「げ、確かに」

「とりあえず、目立つな」

 とは言ったものの、目立つな、ということが八夜には無理だとしか思えなかった。

「そういや、心はどうした?」

 八夜は訊いた。そういえば、さっきから心の反応が無い。

「あ、いや、ごめん。いるよ……」

「どうしたどうした? 元気がないぞー!」

 画面の中で八夜が腕を振り上げていた。

「だから目立つなと言っているだろう!」

「ごめん、ちょっと保留にする」

 と、心は言って、声が聞こえなくなった。

「どうしたんだ?」

「いや、俺に訊かれてもわからないのだが」

 不意に八夜が男に話しかけられた。

「ちょっと、ごめん、いいかな?」

 いかにもサラリーマンを始めたばかりという風体で、スーツがあまり似合っていなかった。

「あ、えっと何?」

 八夜は突然の事で慌てた。

「こんなこと訊くのも変だと思うけど、虹色の髪の男見なかった?」

 悟も八夜もハッとなった。今からそれを訊いて回ろうとしていたのだ。

「なんでそれを?」

「ごめん、知らないならいいんだ」

 と、その男は去っていこうとした。

「その男を止めろ」

 と、悟は指示した。

 八夜は、その男にタックルをかまし、地に組み伏せた。

「何をするんだ!」

 男は力ずくでひっくり返すと、逆に八夜の腕を取って絞め上げた。

「いてぇよぉ、おいぃ」

 悟はあきれ返った。止めろとは言ったが何もそこまでする必要はないはずだった。

「すいません!」

 悟はその男に聞こえるように声を張り上げた。

 八夜のヘッドセットからそれが漏れ聞こえたのか、その男はヘッドセットを取り上げ耳につけたようだ。

「すいません、そいつ馬鹿で。あなたを呼び止めるように言ったんですが、まさか、ここまでするとは思わなかったので」

「あ、いや、俺もやりすぎた。すまん」

 八夜は解放されたが、まだ腕をさすっていた。

「あんた、強すぎだろう」

「あはは。まあ、これでも柔道の心得があるからね」

「少しこちらからも訊きたいことがあるんですが、いいですか?」

 と、悟はイーフォン越しに尋ねた。

「いいよ、君なら話もわかるみたいだから」

「どうして、虹色の髪の男を探してるんですか?」

「んー、じゃあその前に、どうしてそれを気にするのか、訊いてもいいかな?」

「俺たちもその虹色の髪の男を探しているんです」

「どうして?」

「それは――あなたも連続通り魔事件を知ってますよね?」

「ああ」

 男はうなずいた。

「その犯人は虹色の髪をしているんです」

「ふむ」

「俺たちはその犯人を止めようとしています」

「なるほど」

「では、そちらの番です。どうして虹色の髪の男を探しているんですか?」

「簡単だよ。君たちと同じ。その犯人を止めたい、いや、一発殴ってやらないと気が済まない」

「え?」

「殴るだけじゃ足りないかもしれないけど」

「――では、なぜ犯人が虹色の髪をしてるか知ってるんですか?」

「犯人を見てしまったから」

「なんだって?」

「二件目の事件に俺は居合わせた。その時、逃げ出した犯人を、その虹色の髪を俺は見た」

「まさか、そんなことって」

 悟は信じられなかった。事件に絡む人物とこうして巡り合えるとは。

「逆に訊いて良いかい? 俺は犯人を見たから知っていたけど、どうして犯人が虹色の髪をしているって知っているんだ? 俺は警察には言わなかったんだ」

 悟は話して良いものか迷った。心や八夜にはその関係が壊れそうで言えなかったけれど、赤の他人であるこの人なら言っても大丈夫だと判断した。

 八夜には悟の声は聞こえていない。

「犯人は俺の元親友かもしれないんです。その親友は虹色の髪をしていました」

「ちょっと待て。まさか」

 その男は八夜のパソコンの画面を覗き込み、そして、口元を綻ばせた。

「そうか、そういうことか」

「どうしたんですか?」

「こんな偶然、もう笑うしかないじゃないか」

 その男の言っている意味がわからず、悟は首をひねった。

「俺の名前は斉藤優馬。気付かないか?」

「そう言われても」

「全く本名と同じなんだがな」

 悟は考えた。斉藤優馬。聞きなれない名前だ。いや、優馬。ゆうま。UMA。

「まさか!」

 悟は得心が行き、驚きの声を上げた。

「そのまさかだよ」

「UMAさん?」

「そうだ。このイーフォンの画面にユグノー、平八、そしてココウェットの名前があったのにはびっくりした」

 確かにイーフォンの表示名はネットゲームで使っているものと同じものにしていた。

「てことは、この通話はユグノーさんで、ココウェットさんは女の人だから、ここいるのは平八なのか?」

「そうだよ、文句あっか」

「ココウェットさんはいないのかな?」

「今、保留にしてるみたいです」

「そうか、残念」

「つか、ココのこと男だと思ってたの俺だけかよ。恥ずいったらありゃしねぇ」

「それはそうと、どうして虹色の髪のことを警察に言わなかったんですか?」

 悟は気になっていたことを訊いた。

「ユグノーさんの友達だから言うのがためらわれた」

「えっ」

「って言いたいところだけど、恥ずかしながら、その時は気が動転していて、言いそびれちゃったんだ」

「でも、落ち着いてから言えば良かったのでは?」

「そうなんだけど。ただ、俺自身で犯人を見つけて殴ってやりたかったんだ。警察が先に見つけたらそんなチャンスなくなるだろう?」

「二件目の事件。何かあったんですね」

「まあ……ね」

 優馬が言い渋っていたので、悟はこれ以上の言及を避けた。

 三人は改めて自己紹介をすることにした。

「オーケー、悟と八夜、そして今はいないけど心」

 そこに、ちょうど心が帰ってきた。

「ごめんね。ただいま」

「お、これが心だな」

「えっと、この人、誰?」

「俺だよ俺って言ってもわからないよな」

「あ、はい」

 心は困惑している様子だった。

「優馬だよ」

「え、UMAさん?」

「まあ、本名も優馬だし、そのままでいいから」

「うっそ〜! なんでここに優馬さんがいるんですか?」

 心は意表を突かれたようで、大層驚いていた。

「俺も犯人探してるんだよ」

「どういうことです?」

 優馬はかいつまんで事のあらましを説明した。

「そっか、通り魔の現場に居合わせるなんてすごいですよね」

「まあね。それはそうと、これからどうするんだ? ここ一時間くらい訊いて回っていたが、誰も見てないって言うし」

「俺が思うに犯人は人気の無い場所で犯行を行っています。なぜなら虹色の髪というファクターが出回っていない。つまり、目撃者が存在しないということです」

「俺以外は」

「じゃあ、駅前じゃなくて、どこか人が居ない所に行かないとね」

「名古屋は広い、手分けして探そう」

 優馬はヘッドセットを八夜に返すと、走り去ってしまった。

「結構、勇み足な人なのね」

「まあ、当初の予定通り三人で探すしかないな」

「さあ、八夜〜、どこへなりともゴーゴーよ!」

「はいはい、わかったよ」

「ハイは一回!」

 心は元気を取り戻したようだったが、悟にはどうにも空元気に思えてならなかった。

 八夜は名古屋市内で人通りが少なそうな道を選んで歩いて行った。

 路地をいくつか曲がった後、ぽつっぽつっと雨が降り始めた。

「天気予報で雨が降るっつってたからなぁ」

 八夜はそう言うと、持っていた傘を差した。

「なんか嫌な感じだ」

 悟は不安が増大していくのを感じていた。

 それからまた、かなり歩いたところで、

「つーかーれーたー」

 と、八夜が唸った。

「もう、体力無いわね」

「しょうがねぇだろ、帰宅部なんだから」

「ネットゲームばっかりしてないでもっと運動しなさい運動を」

 悟にとっても耳が痛い言葉だった。

 先ほどより雨脚は強まり、ざーざーという音が悟の方にも聞こえてくるほどだった。

「待て」

 八夜が立ち止まった。

「どうした?」

 悟が訊いた。

「あいつだ」

 八夜は前方にカメラを向けた。その映像からは街灯の下に男の姿が見えた。その男は傘も差さずただじっと何かを待っているようだった。

「街灯の下とはいえ暗くてよくわからないな」

 悟の画面からはよく見えなかったが、

「虹色の髪をしてるぜ」

 八夜には虹色の髪が見えたようだ。

 八夜が近付くと、だんだんとその人物が明確な形を成し始めた。画面越しにも虹色の髪が見て取れた。

「暗くて表情までは良くわからないな」

「もうちょっと近づいてみる」

「危ないわよ! やめなさい!」

 心の制止も聞かず、八夜は十メートルほど離れた電信柱の陰に身を潜めた。

「どうする?」

 八夜は訊いたが、悟もそれ以上のことは考えていなかったので、どうして良いのか分からなかった。

「警察を呼ぶにしろ、あいつはまだ何もやっちゃいないのだから、説明のしようがない」

「確かにそうよね。あいつが犯人だって言う確証もないわけだし」

「だからって、ここでこうしているわけにもいかないだろ!」

 八夜はその男に歩み寄った。

「よお。何やってんだ、こんなとこで?」

 ぶしつけに八夜は問いただす。

 だが、その男は黙殺した。

 その男と目と鼻の距離まで近づいたおかげでその顔が画面にもはっきりと映った。まさしくそれは笠木刃であった。濡れそぼった虹色の髪が額に張り付いていた。

 大方予想はしていたことだったが、いざその現実を突きつけられると、悟の顔は苦悩に歪んだ。

 八夜がじっと返答を待っているのを見て刃は笑いながら告げた。

「あと、三分。まだここに居るつもりなら、お前になるぞ?」

 時計を見ると、午後九時五十七分だった。

「どういう意味だ?」

 八夜は尋ね返した。

「俺は誰でもいいんだ。ただ、その時間にこの近くにいた奴をやるだけなんだから」

 やはり刃はここで三度目の犯行を行うつもりなのだった。

 八夜と刃はにらみ合ったまま動かない。

「逃げろ、八夜!」

 悟は叫んだ。

「俺が逃げても他の誰かがやられるだけだろ!」

 確かに八夜の言うことも正しかった。

「ん? お前パソコンなんか持って何やってるんだ?」

 刃は八夜の持つパソコンに気付いたようだ。

「なるほど。他の誰かと繋がっているわけか。面白い」

「どうするよ、俺」

 八夜は冷や汗を隠しきれなかった。

「さて、残り一分。秒読みを始めようか。六十、五十九、五十八――」

 ゲームを楽しむかのように秒読みを続ける刃。焦る八夜。歯を噛みしめながら見つめる悟。

「八夜、いいから逃げろ!」

 悟は怒鳴った。

「――三十五、三十四、三十三――」

「八夜!」

「くそっ!」

 八夜は傘を投げ捨て、男に向かってタックルをした。だが、その男は少しよろめいただけで、さらに秒読みを続けていた。

 優馬の時は、不意を突いたから倒すことができただけで、面と向かっての相手を押し倒すほどの力は八夜には無かった。

「――十、九、八――」

 刃は八夜の左足をつかみ上げた。八谷のヘッドセットは外れ、足元に転げ落ちる。

 そして刃は足元のバッグから斧を取り出した。

 悟は息を呑んだ。

「ひっ」

 八夜は恐怖でそれ以上の抵抗を諦め、ノートパソコンをぐっと抱きしめた。

「――三、二、一――」

 刃は斧を振り上げた。

「やめて! 刃!」

 心の絶叫が刃の動きを止めた。刃の口はゼロのゼの形で固まっていた。

 静止した時の中で雨音だけが鮮やかだった。

 転がったヘッドセットから心のすすり泣く音が漏れ、刃の耳に入った。

「もう、やめて。お願い、刃……」

 心は声を絞り出すようにして言った。

「姉、ちゃん?」

 刃の口から言葉がこぼれた。

「さっき、電話を掛けたけど、何度鳴らしても、繋がらなかった」

「うるさい!」

「ねえ、刃。お願いだから、その子の足を離して」

 だが、心の懇願も刃の行動の抑制力にはならなかったようだ。

「くっそー!」

 刃は声を張り上げると、八夜の膝めがけて斧を振り下ろした。ごりっという関節が外れた音がして、膝から下は八夜自身から切り離された。

「ぐがぁああああ」「いやぁああああ」

八夜の悲鳴と心の悲鳴が重なった。悟は声も出せず、ただ画面の前で固まっていた。

膝からあふれ出た血が雨とまざってアスファルトを流れて行く。

 刃は八夜の左足と斧をバッグに入れると、走り去って行った。

 八夜のパソコンが雨水で壊れてしまったのか、雨音はいつの間にか途絶えていた。

ただただ心のむせび泣く音が悟の耳朶を打つのみだった。